2019/7/1 ニュージーランドで出会えたわたし

f:id:Ikirkashinu:20221105152727j:image夏の間だけ、北海道にある湖のほとりで働き暮らしている。6月が終わり7月に入ったというのに、半袖一枚ではまだ過ごせない日が多い。でもニュージーランドでは軽装のひとが多い気候だな、とふと思い出す。暑いのが苦手なわたしにとってここは天国のようであり、同じくわたしにとって天国のような地である、ニュージーランドを包んでいた空気や匂いをも瞬時に思い出させてくれる。あの日々がもう既に何年も前のことのように感じられて、夢あるいは幻を見ていたのではと、何度も何度も自分の記憶を疑ってしまう。だからそのたんびにニュージーランドで撮った写真を見返しているので、それが習慣になりつつある。でもそのたんびに、わたしはニュージーランドでの日々をこれからのお守りにしているのか、現実から逃避しているのかわからなくなる。どちらか、ではなくて、どちらも間違いであり、どちらも正解なのだろう。ただ単に自分の記憶を疑ってしまうので、その記憶がたしかなものであることをちゃんと実感し安心するための行為であり、それ以上でもそれ以下でもそれ以外でもない、と言いたいけれどそれすらも疑ってしまう。


ニュージーランドで約9カ月暮らし、わたし自身に関して気が付いたことはたくさんあるけれど、驚いたのはわたしは環境適応能力がそれなりに高く、家族以外の他人と同居可能だということ。わたしは環境の変化にめっぽう弱く、家族以外の他人とは絶対に暮らせないと信じ込んでいた。環境の変化にめっぽう弱いと思っていた理由は、小学校高学年のときに転校し、その年の秋に聴力が低下ししばらく戻らなくなったことがあったからだ。わたしは生まれつききこえず補聴器をつけて日々暮らしているけれど(補聴器をつけたら「完全にきこえる」わけではなく、ひとりひとりのきこえ方も千差万別です)、小学校時代のわたしにとって補聴器をつけていても何もきこえないレベルまで聴力が低下すること(それと一緒にめまいと強い吐き気、嘔吐)はよくあることで、通常は約1週間程度で元に戻る。しかしそのときは約1ヶ月経っても元に戻らず、さすがにこれはおかしいとなり、治療のため約2週間入院した。長くなるしこのとき感じていた色々はまた改めて文章にしようと思う。ことばを理解し覚えて、語彙が増えてわたしのことばになおし、文章で表現できるようになった今だからこそ書けることがある。


転校による環境の変化もしくは新たな環境に適応することが、当時のわたしにとって致命的なくらいにとても大きなストレスになったのだろう。でも転校は自ら望んだことで、決して誰のせいでもなく、かといって自分のせいでもない。自分で思っていたよりも自分のからだはとても弱く、環境の変化にそのときは対応できなかっただけのことだ。だからわたしは、小学校を卒業したあとの進路として、ろう学校か地域の中学校かどちらに進学するか悩んだ。何が、具体的にどのような部分がストレスになったのか自分なりに考え、約3ヶ月間低下したままだった聴力が奇跡的に戻ったとはいえ、次また同じことが起きたら今度こそ元に戻らない、そうしたら地域の中学校で勉強についていくこともひとと今までのように話すことも関係を築くことも難しくなる、できるだけストレスを感じなくて済む環境がいい、そして万が一完全にきこえなくなっても大丈夫な環境がいちばんだ。そんな風にたくさんたくさん考えた末に、わたしはろう学校を選んだ。選ばなかった選択のことを想う時間もそれなりにあったけれど、今はベストの選択だったと思っているし、どちらを選んでもわたしには正解だったのだろう、とも思う。


ろう学校を卒業し進学する際の環境の変化もとても心配だった。でも高等部に入ってから聴力が低下することも体調を崩すこともほとんどなくなり、小さい頃から常に抱いていた「健康になりたい」という夢が、夢じゃなく現実になったのでは、と日に日に確信しつつあった。「健康」という定義は、ここでは「聴力低下や体調不良を引き起こすからだの疲労やストレスをなくすため毎日の習慣であった昼寝をせずとも、聴力が安定していてかつめまいや嘔吐といった体調不良がない状態」をさす。ほんとうであれば、「きこえなくなるかもしれない」「まためまいが起きるかもしれない」といった不安もない状態が希望だけれど、それはきっとしぬまでなくならない。それでもわたしが望んでいた「健康」になったかもしれない、という確信はわたしにとって大きな自信になり、それまで見えなかった未来が朧げながらも、ほんのり見えるようになってきた。家族の手を借りずとも、自分の足で立ってひとりで歩いていく未来が。


話が逸れてしまった。ともかく環境の変化や新たな環境に適応することはわたしにとって、自分のからだにどのような影響があるのか予測できず不安な部分があった。でも気がついたら、わたしは環境の変化にあまり影響を受けず新たな環境に適応する力を知らず知らずのうちに身につけていた。どんな環境にも適応できるわけではないし、適応不可能なケースも今後あると思うけれど、今のところは適応できている気でいる。わたしが適応できていると判断する基準は、こころから望んで好きな音楽を聴けて、好きな本を読めて、好きな映画を観れて、好きな絵を描ける精神状態でいられること、かもしれない。おそらくすきなものにたくさん出会えてかれらがわたしがいきていくにあたり大きな支えになってくれて、ストレスやからだの疲労との付き合い方がうまくなったのだろう。ほんとうはよくわかっていない。やはり適応できている気でいるだけかもしれない。考え方の変化とか、体力がついたとか、色々な要素があってのこの結果で、「これだ!」と一概にひとつに絞り断定できるものではないのだろう。


ただ、環境適応能力は高いかもしれないけれど、同じ場所に長期間留まり続けるのは難しいことにも気がついた。ニュージーランドにいる間、約3ヶ月ごとに住む場所を変えていた。ニュージーランドに来る前から複数の街に住むのもいいなと漠然と考えていて、もし長く居たいと思ったらそこに居ようと決めたけれど、結局約3ヶ月の間隔で複数の街で暮らした。


文章を書き始めると終わりが見えなくなってしまう。友達が少なくひとりでいることが多く、ひととはなす時間がほとんどないので自分でも自分が何を考えているのか、何に対してどう考えているのか、というかわたし存在してる?などたまにわからなくなりただの肉体として淡々といきている心地がじわじわ湧き上がってくる。こうして文章にしてみると案外ただの肉体じゃなくて、魂もちゃんとわたしのなかに入っているようだ、と安心する。家族以外の他人と暮らしてみてのことなど、続きはまた後で。