2018/11/16 ありふれた風景

f:id:Ikirkashinu:20221105150427j:imageFri 16/11/2018 ☀️

休日だった。仕事がある日は5時に起きるけれど、今日は8時頃起きた。でもそれはベッドから起き上がる時間のことで、ほんとうは7時半には既に目を覚ましていた。まだなんとなく眠いというよりかは瞼が重くて体もだるくて布団の中でしばらくごろごろする。はやくも肌にまとわりついてくる空気が少し重くしつこくて、気温が高くなる予感を感じる。

わたしはニュージーランドに来てから、すっかり朝食にトーストを食べることが習慣になっていた。ただただ素直に美味しいと思うから。ニュージーランドのトーストはいっぱい入っている分一枚一枚が薄くて、焼きすぎるとフワフワの部分なんてなくなってサクサクを超えてザクザクになる。だから適度な具合に焼かないといけない。焼くのはわたしじゃなくてトースターだけど。そのトースト二枚にスクランブルエッグとチーズを挟んで食べるのがすきだ。あともう二枚にハム2枚とチーズを挟む。飲み物にはミルク、デザートにヨーグルト、たまにキウイフルーツも添える。

今日は晴れていて、リビングルームにあるテーブルに窓から木漏れ日が差し込んでいた。家の隣には、公園があってちょうど窓から大きな木が見える。風に揺れる葉とテーブルに差し込む木漏れ日が揺れる様を見るたび、雑じり気のない透き通った鈴の鳴る音がきこえてくる気がする。その風景と音のマッチング具合があまりに絶妙で、目の前が滲んでしまう。しあわせだと思う。

ルームメイトが友人とよく週末に海に行っているから、わたしも行ってみた。見たことのない青だった。わたし自身日本でもそこまでたくさんの海を訪れたわけではないけれど、それでも日本ではこの青さは目にすることはできないのではないかと直感した。わたしの目には5色ほどの青がうつくしいグラデーションを織り成して映って見えて、既に真夏の姿見をした太陽の光を受けて煌めいている。淡い空の青と濃い海の青の境目に痺れてしまう。青い絨毯のように凪いだ海の上に寝転がることができたなら、どんなに気持ちが良いだろう。そんなことを考えながらベンチや流木に上がり、少し高いところから海を眺めるのは、とてつもなく贅沢で至高だ。

車に戻り、クーラをかけて一眠りした。風が強くなってきて、わたしの車を何度も何度も揺らす。潮の匂いが風にのり車の中まで運ばれてくる。風にそよぐ草花の中を、夫婦が歩いていく。わたしは彼らを、見えなくなるまで眺めていた。

フラットメイトの引っ越しの手伝いをしないといけない。そろそろ帰る時間だ、と思いエンジンをかけようとする。しかし全く反応しない。恐らくバッテリーが切れたのだろう。少し焦る。以前車を修理に出したディーラーに電話をかける。AAに電話をするように言われる。AAに電話をかける。営業が終わったようで、留守番電話サービスらしきところにつながる。こりゃあかん。

ブレナムに来てからお世話になった女性を思い出す。電話番号を教えてもらったから、底のない申し訳なさを感じながらも電話をかけてみる。AAに代わりに電話をかけてくれるとのことだったが、メンバーシップカードが必要とのこと。わたしは持っていなかった。家族で直接たすけに来てくださった。ここでいただいた親切を、わたしも誰かに返そう。そうでなくても、いつでも誰に対しても優しく誠実であろう。

約束していた時間に遅れながらもフラットメイトの引っ越し手伝いを終えた。ニュージーランドに来てから、こんな風に出会いと別れを淡々と何度も繰り返していく。どうか皆健やかに自分の望むままに暮らしていってほしい。出来れば心の底からしあわせだと思える瞬間が多くあってほしい。わたしもそうありたい。

腕が何だかヒリヒリする。これまた私自身経験したことのない色にこんがり焼けている。上着の袖を捲っていたから、焼け方が中途半端で面白い。暦の上ではまだ春なのに現時点でこんなに焼けてしまったら、本格的な夏が訪れたときどうなるのだろう。恐怖と戸惑いを感じながらも、胸の高鳴りを覚える。


夏はすぐそこだ。