2019/4/5 見えない星座に祈る

f:id:Ikirkashinu:20221105152237j:image何も誰にも期待なんてしないししたくないし、期待もされないしされたくない。何者にもなりたくないしこの世界の片隅の片隅の片隅でひっそりいきていきたい。

あるひとにお前何者?と訊かれたとき、漬物!と答えた小学生の頃のわたしをたまに思い出して励まされている。そのあと沈黙が数秒続き、すごいなと苦笑いで言われ、煮物って答えたほうがよかったかな…?と少し後悔した。そういうことじゃない。でもそういうことでいいと思う。わたしはすごい。

南半球から望む星座と月の模様は、北半球のそれとは真逆に見える。でも、正しい見え方なんてない。上も下もない。もちろん優劣など存在しない。見え方が違うだけだ。ただそれだけのことだ。

「わかってくれると思った」という期待は、時として恐ろしく感じられる。わたしに対して信頼を寄せてるということははっきり実感できるし、筆舌に尽くしがたい喜びがある。でも、わたしにあなたの気持ちがわかるなんて一ミリも思わないし、思いたくない。反対に、わたしの気持ちをわかってくれるともわかってほしいとも思わない。

でも、わかろうとする努力はしていきたいし、怠りたくない。努力をしたからといって、わかることはあり得ない。そのことを忘れずにいたい。わかることはできなくても、こころを寄せられるひとでありたい。そういうひとに、わたしはなりたい。

ニュージーランドから帰ってきた。わたしはほんとうに、あのうつくしく天国のような国で暮らしていたのか、と何だか夢か現かわからない心地でいる。天国なんて行ったことないからどんな地なのかそもそもわからないけど。それでも、ちゃんとわたしは生きていた。愛という概念がまるで、国というかたちとなってあらわれたかのような、あの地で。

わたしはニュージーランドを愛しているし、ニュージーランドもわたしを愛している。それがはっきりとわかる。だから不思議と、ずっとこころがじんわりと温かく、そしていつでもどこにでも飛んでいけるような、きれいな羽がわたしのこころに生えている。大丈夫、わたしは生きていける。羽がボロボロになって飛べなくなったとしても、歩いていけばいい。あるいは、だれかの手を借りたっていい。

ここからはサザンクロスは望めない。それでもわたしの瞼の裏に焼きつき、こころの奥で煌き続ける十字に結ぶ4つのひかりに、白く長い雲のたなびく地アオテアロアを、いつまでもいつまでも守ってくれますようにと、祈り続ける。